嫌いなタイプは無自覚な人

特権や自分の立場に無自覚な人が嫌いだ。

ここで「苦手」と使わずに「嫌い」と言っているのもこだわりがある。

嫌いの方が自分だけの責任にできるからだ。「苦手」はどこか、相手にも悪いところがあり、自分が苦手という状態に陥っているという表現に感じる。

これ自体、めちゃくちゃ自分勝手な考えだという自覚はある。

でも、私が甘い人間だから、相手のせいにした時点で思考を停止してしまう。ちょっとでも良い人間になれるように考え続けられるように、考えなければいけない。

は?人生で一番わかりにくい文章を書いた自覚がある。ちんこ。

とにかく自分を守る、逃げの表現はしない。これが未来の売れっ子作家のメソッドその1である。

 

話が逸れた。

バイト先で、「〇〇さんもう就活終わったんですか!いいなー!」と就活浪人した私に言ってきて奴がいた。きっと悪意はない。彼は3年生。私と同じ業界を志望しているらしい。

私は現在4年生(実質的には5年生か)。現在は9月なので就活はそれなりの学歴と努力量と妥協ができればほとんどの学生が終わっている時期である。就活浪人した私は彼の3~4倍は長く、苦しい就職活動の時期を送っているはず。
にもかかわらず「俺今マジで暗黒時代っすよーw」と続ける。
話を聞けば、私がずっといきたかった企業のインターンに参加してトップ成績だったというではないか。
一体何が暗黒なのか教えて欲しい。世の中の人が「暗黒」と表現する時にはどんな感情を表すのか知らないのだろうか。
まあ、試験ごとにおいて、正式な結果が出るまで不安な気持ちはわからなくはない。でも暗黒と表現するには自慢の要素が詰まりすぎてはいないか。チラっと顔を見ると得意気な顔を浮かべた彼が仕事もせずに突っ立っていた。

結局彼は自慢がしたかっただけ。構って欲しかっただけ。そうに違いない。私も自慢されて嫉妬してムカついただけだった。

でもこういうタイプの人間って定期的にいるよなとも思った。俺の目の前に現れては心をかき乱してどこかに去っていく。

きっと彼らは巨大な自我を持て余しているのだ。私たち他人のことを考える余地が少しもないから無自覚に人を傷つけるし、自分の置かれている立場の優越性に無自覚なんだ。その無自覚さに腹が立つ。だから嫌い。大っ嫌いだ。

自分もなるべく無自覚にならないように気をつけている。全く無自覚にならずに生きることは難しい。でも、よく観察して、周囲の人間を傷つけてしまった時くらいは反省したい。

マシューとテイラーが付き合っている噂があるのは多分関係ない

音楽が好きなのか、素晴らしい音楽を奏でるその人が好きなのか。
最近はこんなことを考えることが多い。

きっと、久々にthe1975Rex Orange Countyを聴いたからだ。

細かい経緯は省くが、the1975はボーカルのマシュー・ヒーリーがpodcastで日本人をハイテンションで侮辱する発言をだらだらしたこと、Rex Orange Countyは性的暴行を繰り返した疑惑が取り沙汰されたことをきっかけに、しばらく彼らの音楽を聴くのをやめていた。

マシューの発言を聞いた時には無気力な状態に陥った。あらゆる方向に差別発言をし、日本人に向けても下品なジョークを飛ばしている彼の内側を想像して、未知の感情が渦巻いている気がした。日本に住んでいると差別される経験をすることはあまりない。このpodcastに関する記事を読んだ後、結構落ち込んだ。私の防御力が低いのか、攻撃力も強かったのかはわからない。結局のところ、「わからない怖さ」と「攻撃された事実」のみが私に残された。それはthe1975の音楽と距離を置かせるには十分な理由になりえたのだ。

完全に蛇足。日本の深夜ラジオなんかもそうだけど、閉鎖的な空間で収録をするラジオはどうしても悪ノリが加速しやすいのかもしれない。準公人たるセレブリティの面々はSNSの発信同様気を遣って発言をすべきだ。あんな思いはもうしたくない。

Rex Orange Countyの事件は友人を通じて知った。聞いた時は本当にショックを受けた。あんなにきれいなメロディで私を癒していたのに。特に恋愛がらみの甘い曲は、今後聞き方が変わってしまうと思うと本当に悲しかった。

2022年末には告発は取り下げられ、彼の無罪は証明された。彼の無罪を信じられなかったことに対して申し訳ない気持ちもあったが、再び彼の音楽をこころ置きなく聞けることへの喜びの方が大きかった。本当によかった。

再び彼の音楽を聞いた時の喜びは何事にも代えられない。たまっていた感情が溢れて、目頭が熱くなった。

問題はマシューの方だ。今後彼らの音楽と私はどう向き合えば良いのだろう。

時間と共に彼らの音楽への嫌悪感は薄れ、普通に楽しめるようになった。やっぱりいい曲だよ。でも、心のどこかでしこりが残る。

音楽系youtuberが「音楽」と「製作者の人格」は分けて考えるべきかという話をしていた。作品は素晴らしいし、いつ聞いても感動できる。でも、その製作者のことを考えると、感動が少し曇ってしまう。やはり作品と作者は分けるべきなのだろうか。

現時点で私は、やっぱり作品と作者の人格は分けることはできないと思う。

やっぱり音楽は作った人やパフォーマンスする人のかけた思いやそれまでの人生が滲んでくるものだと思うし、だから共感したり、感動できたりするんだと思う。

the1975の音楽は好きであり続けるけど、人格には少し疑う気持ちを向けてしまう。これからもそんなねじれた日々が続くだろう。

決してテイラースウィフトと付き合っていることに嫉妬しているわけではない。決して。